1006 合田裁判長より出張尋問(前回公判期日以降公判期日の間に)が行われた旨を報告
1007 河津 証人(元平成電電株式会社取締役技術本部長)入廷及び、証人宣誓
1009 弁護人(弁2)より質問
証人の経歴、昭和41年4月〜平成5年12月までNTT(昭和62年前は日本電信電話公社)に勤務。
詳細は、1966年4月にNTT中国に入社、5年間電報の保守管理、
さらに11年間銀行システム、郵便貯金、バンキングオンラインの構築、
さらに5年間はインターネット(パケット構築やパケットの開発)
そしてシステム開発部門、データベースの開発7年間。
合計して28年と9か月電電公社とNTTにおりました。
またNTTでは自分自身での特許を取得しました。社内表彰では事業本部長賞を貰いました。そして、過酷な開発も行い、九州・四国などでもシステムを立ち上げました。その功績として平成5年に社長賞をもらいました。
私の専門は、コンピュータからコンピュータについてと、電報から電信というものが専門でいわゆる「データ通信」というものです。
平成5年12月にNTTを退職したのは、(自分が携わった)大きなシステムは東京・広島・四国では作動したが、他に上手くいかなかったものもあったし、さらに過労死直前くらいまでの働きで、自分のやっていることについて疑問を持ったので、結局退職することになりました。
平成6年〜平成12年までの5年は福岡県の地場通信(通信メーカー)で働いていました。それは放送・電力・警察・などのシステムをつくって
いて、ソフトウエアの開発をやっていました。
そして、平成12年12月にトライネットインターナショナル(その後の平成電電)に入社しました。入社のきっかけは、その通信メーカーを辞めて、ハローワーク(公共職業安定所)で技術職を斡旋する紹介で、面接をした時にすぐに採用をしていただきました。その年の11月1日にトライネットインターナショナルへ出向き、その時の面接で佐藤会長(佐藤賢治被告人)に初めて出会いました。
専門技術として(人材バンクに)登録しましたが、それは「電気通信主任技術者」という資格を36歳の時に取得しました。
そしてトライネットワークインターナショナルに勤務したときの職務はISP事業(インターネットサービスプロバイダ)
の交換機の調達でした。(トライネットインターナショナル)は第一種電気通信事業者の免許獲得を目指していたので、郵政省(現 総務省)
に提出するものの折衝を行っていました。
第一種通信事業者の登録をするために書類もつくっていました。例えば、構造設計書や設計要綱などです。平成13年に(平成電電株式会社において)私は技術本部長に就任しました。また通信設備部長も兼任しました。
マイラインの交換機については全国に36もしくは37か所の設置を行いました。その後直収線サービス(chokka)をはじめるのでその業務を行い、途中から故障の対応や開通などの対処を同時にやっていました。そのため私は、本来はデータ通信に関する専門家でありましたが、NTTを辞めてから電話の専門家にもなりました。
10:24